「立って用を足すと、どのくらい飛び散るのか」。
気になっても、床を拭きながら量を測る人はいません。この章では、測らずに見積もります。
使う道具は、前章のフェルミ推定の型と、物理の3つの考え方だけです。
水流の速さ、落下による加速、表面張力による水流の分裂。
どれも電卓で計算できる形まで落とし込みます。
問いを分解する
「飛び散る量」は、そのままでは見積もれません。次のように分けます。
- 水流はどのくらいの速さで出るのか
- 便器の水面に届くとき、どのくらいの速さになっているのか
- 水流は、届く前に粒に分かれているのか
- 粒が当たると、どのくらい跳ね返るのか
1と2は力学、3と4は表面張力の問題です。順に片づけます。
図 1立った姿勢での水流の模式図。出口から水面までの高さ h は約 0.6 m。落下の途中で水流は細くなり、やがて粒に分かれる。
1. 水流の出る速さ
流量 Q(1秒あたりに流れる体積)と、水流の断面積 A が分かれば、速さは
v0=AQ
で求まります。1秒間に流れた水は、断面積 A、長さ v0×1s の円柱になるからです。
泌尿器科で測る尿流量の検査では、成人男性の勢いが強いときの流量は毎秒 20mL 前後が目安です。
水流の直径は数 mm なので、4mm(半径 2mm)とします。
A=πr2=3.14×(2×10−3m)2≈1.26×10−5m2
v0=1.26×10−5m22×10−5m3/s≈1.6m/s
2. 水面に届くときの速さ
立った姿勢では、出口の高さは床から約 0.8 〜 0.9m、洋式便器の水面は床から 0.2m 前後です。
落差 h は約 0.6m とします。
空気抵抗を無視すると、力学的エネルギー保存から、着水の速さ v は
落下後の速さ
v2=(1.6)2+2×9.8×0.6=2.56+11.76≈14.3⟹v≈3.8m/s
v2 の内訳を見てください。出る勢いの寄与 2.56 に対して、落下の寄与は 11.76 で、4倍以上あります。
図 2着水の速さの2乗 v² = v₀² + 2gh の内訳。勢いを半分にしても(2段目)ほとんど変わらないが、落差を小さくすると(3段目)大きく減る。
着水までの時間も見積もっておきます。水流がほぼ水平に出るとすると、落差 0.6m を落ちる時間は
t=g2h=9.81.2≈0.35s
やや下向きに出れば、もう少し短くなります。着水までは約 0.3s。この数字を次の節で使います。
3. 水流はどこで粒になるか
蛇口から細く水を出すと、はじめは1本の棒のようでも、下のほうでは粒の列になります。
これは表面張力のしわざです。
同じ体積なら、細長い円柱より、いくつかの球に分かれたほうが表面積が小さくなります。
表面張力は表面積を小さくしようとするので、円柱の水流にできたわずかなくびれが育ち、やがてちぎれて粒になります。
図 3水流が粒に分かれるまで(模式図)。表面張力で、波長が半径の約9倍のくびれが最も速く育ち、そのくびれでちぎれる。できる粒の直径は元の水流の約1.9倍になる。
ちぎれるまでの時間を次元解析で見積もる
この過程に効く量は、水の密度 ρ、表面張力 σ、水流の半径 r です。
この3つから時間の次元を持つ組み合わせを作ると、ただ1つに決まります
(「単位と次元」の章の章末問題3と同じ計算です)。
τ=σρr3
水に近い値として ρ=1000kg/m3、σ=0.07N/m、r=2×10−3m を入れます。
τ=0.071000×8×10−9=1.1×10−4≈0.01s
τ は「くびれが目に見えて育つ時間」の目安です。実際にちぎれるまでには、
最初のごく小さな乱れが水流の太さほどに育つ必要があり、τ の十数倍〜数十倍かかります。
t分裂≈0.15∼0.3s
さらに、落下で速くなった水流は細くなります。流量 Q=πr2v が一定なので、r は v−1/2 に比例します。
1.6m/s から 3.8m/s になると、半径は 1.6/3.8≈0.65 倍。
細い水流ほど τ が短い(r3/2 に比例)ので、分裂はさらに早まります。
結論: 分裂までの時間 0.15 〜 0.3s は、着水までの時間 約 0.3s と同じか短い。
立った姿勢では、水流は水面に届く前後で粒に分かれていると見てよい。
図 4着水までの時間と、粒に分かれる時間帯を1本の時間軸に並べた図。座ると分裂より先に着水し、立つと分裂の時間帯と同じか後に着水する。
米国の流体力学の研究グループが高速度カメラで調べた報告でも、ふつうに立った姿勢では、着水の時点で水流はすでに粒に分かれていたとされています。
見積もりと観察が合っています。
図 5落差・出る速さ・向き・出口での乱れを変えて、水流が粒に分かれる位置を見るシミュレーション(流量は 20 mL/s に固定)。軌道は本文の運動方程式を数値積分したもので、½v² + gy の保存を画面の数値で確かめられる。「座る」を押すと、水流は粒になる前に水面に届く。しぶきの飛び方は模式的な表現。
4. 粒が当たると、なぜ跳ねるか
1本の水流が水面に入るのと、粒が次々とぶつかるのとでは、跳ね方が大きく違います。
粒は1つずつ水面をえぐり、そのたびに王冠状のしぶきを立てるからです。
図 6粒が水面にぶつかったときの様子(模式図)。粒は水面をえぐり、縁が王冠のように立ち上がって、その先端から小さなしぶきが飛ぶ。つながった水流ではこの王冠ができにくい。
粒の大きさは、ちぎれる前の水流の直径の約2倍になることが知られています。
細くなった水流(直径約 2.6mm)から、直径 5mm 程度の粒ができます。
運動エネルギーと表面エネルギーを比べる
粒がしぶきになるには、新しい表面を作るエネルギーが要ります。
直径 D の粒について、運動エネルギーと表面のエネルギーの比をとります。
表面エネルギー運動エネルギー=σ⋅πD221ρ(6πD3)v2=12σρDv2
D=5×10−3m、v=3.8m/s を入れると
12×0.071000×5×10−3×14.3≈85
粒は、自分の表面を作り直すエネルギーの約85倍を持って水面にぶつかっています。
図 7直径 5 mm・速さ 3.8 m/s の粒がもつ運動エネルギーを、自分の表面エネルギーを1マスとして数えた図。約85マス分あり、細かいしぶきを作る余力が十分にある。
小さな滴をたくさん作って飛ばすのに、エネルギーは十分すぎるほどあります。
5. 何滴、どれだけ飛ぶか
ここまでで「立つと粒になり、粒は跳ねる」ことは分かりました。
ただ、どれだけの割合が便器の外まで届くかは、便器の形・狙う位置・床までの距離に強く依存し、第一原理からは出せません。
こういうときは、観測された数字を1つ借りて、別の量に換算するのがフェルミ推定のやり方です。
日用品メーカーの実験として、「男性が立って小用をすると、1日で約 2,300 滴が便器の外に飛び散る」という数字がよく紹介されます。
これを体積に直します。
外まで飛ぶのは細かいしぶきなので、直径を 0.5 〜 1mm とします。直径 1mm の滴の体積は
6πD3=63.14×(1mm)3≈0.52mm3=0.52 μL
2300 滴では
2300×0.52 μL≈1.2×103 μL=1.2mL
直径 0.5mm なら体積は 1/8 で、約 0.15mL。
1日に 0.1 〜 1mL 程度、1年では
(0.15∼1.2)mL×365≈50∼440mL
多いほうの見積もりでは、コップ2杯分ほどが1年で床や壁に広がる計算です。
図 8飛び散る量を身近な量と比べた図。1日では小さじ1杯にも届かないが、1年積み重なるとコップ1〜2杯分になる。
1回の量を 250mL、1日5回とすると、1日の尿は約 1.2L。
飛び散る割合は 0.1 〜 1mL を 1200mL で割って、約 0.01 〜 0.1%。
全体から見ればごくわずかですが、それが毎日くり返されるところに問題の本質があります。
6. 見積もりから対策を選ぶ
ここまでの見積もりから、効く対策と効かない対策が理由つきで分かります。
| 対策 | 効くか | 理由 |
|---|
| 勢いを弱める | ほとんど効かない | 着水の速さは落差で決まる(第2節) |
| 便器に近づく・落差を小さくする | 効く | 着水が遅くなり、粒に分かれる前に届きやすくなる |
| 水面ではなく便器の内壁に、浅い角度で当てる | 効く | 壁に垂直な速さの成分が小さくなり、しぶきが減る |
| 座る | 最も効く | 落差が 0.2m 程度になり、着水の速さも分裂も両方抑えられる |
内壁に 30∘ の浅い角度で当てると、壁に垂直な速さの成分は vsin30∘=v/2 になり、
しぶきを作るのに使える運動エネルギー(垂直成分の2乗に比例)は 1/4 に減ります。
図 9内壁に浅い角度で当てたときの速さの分解。壁に垂直な成分が v/2 になり、しぶきに使える運動エネルギーは 1/4 に減る。壁に沿った成分は、水が壁を伝って流れるのに使われる。
座ったときの効果は、章末問題3で確かめます。
章末問題
問 1基本落下後の速さ
水流が 1.5m/s で出て、0.50m 落下して水面に届く。
空気抵抗を無視して、着水の速さを有効数字2桁で求めよ。g=9.8m/s2 とする。
解答を見る
v2=v02+2gh=(1.5)2+2×9.8×0.50=2.25+9.8=12.05v=12.05≈3.47m/s暗算で確かめるなら、3.52=12.25 なので 12.05 は 3.5 より少し小さい、と分かります。
答: 約 3.5m/s
問 2標準流量と太さ
流量 20mL/s、直径 5.0mm の水流がある。
(1) 水流の出る速さを求めよ。
(2) 落下して 3.5m/s になったとき、水流の直径はいくらになるか。
解答を見る
(1) 半径は 2.5×10−3m。
A=3.14×(2.5×10−3)2≈1.96×10−5m2v0=1.96×10−52.0×10−5≈1.0m/s答: 約 1.0m/s
(2) 流量 Q=Av は途中で変わらないので、断面積は速さに反比例します。
直径は断面積の平方根に比例するので、速さの平方根に反比例します。
D=5.0mm×3.51.0≈5.0×0.53≈2.7mm答: 約 2.7mm
太さが半分近くになります。細くなった水流は、分裂までの時間 τ∝r3/2 も短くなります。
問 3発展座るとどう変わるか
座った姿勢では、落差が 0.20m になり、水流は 1.6m/s で真下に向けて出るとする。
(1) 着水の速さを求めよ。
(2) 立った姿勢(落差 0.60m、着水の速さ 3.8m/s)と比べて、水の単位体積あたりの運動エネルギーは何分の1になるか。
(3) 着水までの時間を求め、本文の分裂までの時間 0.15 〜 0.3s と比べよ。
解答を見る
(1)
v2=(1.6)2+2×9.8×0.20=2.56+3.92=6.48,v≈2.5m/s答: 約 2.5m/s
(2) 単位体積あたりの運動エネルギーは 21ρv2 で、v2 に比例します。
14.36.48≈0.45答: 約半分(0.45倍)
(3) 下向きに v0=1.6m/s で出るので、落下距離は h=v0t+21gt2。
0.20=1.6t+4.9t22次方程式の解の公式で、正の解は
t=2×4.9−1.6+1.62+4×4.9×0.20=9.8−1.6+6.48≈9.8−1.6+2.55≈0.097s答: 約 0.1s
分裂までの時間 0.15 〜 0.3s より短いので、水流はつながったまま水面に入ります。
座ると、(2) の「ぶつかる勢い」が半分になるだけでなく、「粒になる前に着水する」という別の理由でも飛び散りが減ります。
2つの効果が同じ向きに働くので、座るのが最も効く対策になります。