傘を持って出るか。見直しをしてから提出するか。この案件とあの案件のどちらを先にやるか。
毎日の判断の多くは、結果が確率的にしか分からないなかで行われます。
この章では、そうした判断を数字で比べる道具として期待値を使います。
目的は、すべての判断を計算で決めることではありません。
「確率がいくつ以上なら動くか」を先に決めておき、迷う時間を減らすことです。
期待値とは
結果 x1,x2,… がそれぞれ確率 p1,p2,… で起こるとき、
期待値
を期待値と呼びます。「同じ判断を何度もくり返したとき、1回あたり平均していくらになるか」という意味です。
たとえば、確率 0.3 で 10 万円もうかり、確率 0.7 で何も起きない話の期待値は
E=0.3×10+0.7×0=3 万円
1回ごとには 10 万円か 0 円のどちらかで、3 万円になることは一度もありません。
それでも、100回くり返せばほぼ 300 万円になります。期待値はくり返したときの平均です。
図 1確率 0.3 で 10 万円、0.7 で 0 円の話を10回くり返したときの一例。1回ごとには 10 万か 0 のどちらかだが、ならすと1回あたり 3 万円になる。これが期待値。
傘を持つか:損益分岐の確率
傘の判断を数字にしてみます。
- 傘を持つ手間(荷物になる、置き忘れる心配)を、お金に換算して C 円
- 雨に濡れたときの損(服、体調、不快さ)を L 円
- 雨が降る確率を p
とします。
| 行動 | 雨 (確率 p) | 晴れ (確率 1−p) | 期待される損 |
|---|
| 持っていく | C | C | C |
| 持っていかない | L | 0 | pL |
図 2傘の判断を枝分かれで書いた図。持っていく枝は天気によらず手間 C、持っていかない枝は確率 p で損 L。枝の先の「期待される損」どうしを比べる。
持っていくほうが得なのは、C<pL のとき、つまり
損益分岐の確率
のときです。この p∗=C/L を損益分岐の確率と呼ぶことにします。
持つ手間を 100 円、濡れる損を 1500 円と見積もるなら、p∗=100/1500≈0.067。
降水確率が 10% 以上なら持っていく、と朝の天気予報を見る前に決められます。
図 3傘の損益分岐のグラフ。持っていかないときの期待される損 pL(斜めの線)が、持つ手間 C(水平線)を超える確率が分岐点。この例では約 6.7% で、それより降水確率が高ければ持っていく。
仕事の例:見直しをするか
書類を出す前に見直すかどうかも、同じ形で考えられます。
- 見直しにかかる時間:10 分
- ミスがあったときの手戻り:3 時間(180 分)
- ミスがある確率:p
見直しでミスを必ず見つけられるなら、分岐点は p∗=10/180≈5.6%。
「20回に1回以上ミスをする作業なら見直す」ことになります。
実際には、見直しても全部のミスは見つけられません。見つけられる割合を q とすると、見直しで防げる損は pqL なので、条件は
pqL>C⟺p>qLC
見直しの精度 q が低いほど、分岐点は上がります。
図 4見直し 10 分・手戻り 180 分のとき、見直しの精度 q と分岐点 p* の関係。雑な見直し(q が小さい)ほど、よほどミスが多い作業でないと割に合わない。
雑な見直しは、やっても割に合わないことがある、ということです。見直すなら q を上げる方法(時間を置く、声に出す、チェックリストを使う)を一緒に考えます。
小さな確率のくり返し
1回あたりの確率が小さくても、何度もくり返すと無視できなくなります。
1回あたり確率 p で起きることを、独立に n 回くり返すとき、少なくとも1回起きる確率は
少なくとも1回起きる確率
です。「n 回とも起きない」確率 (1−p)n を 1 から引いています。
図 5「少なくとも1回起きる確率」1 − (1 − p)ⁿ(実線)と、誤った計算 np(破線)。はじめは重なっているが、n が増えると破線だけが 100% を突き抜ける。実線は 100% に近づくだけで超えない。
電卓で (1−p)n を計算しにくいときは、次の近似が便利です。
(1−p)n≈e−np(p が小さいとき)
np=1 なら e−1≈0.37。つまり「平均して1回起きる」だけくり返しても、約37%の確率で一度も起きない、ということです。
図 61回あたり確率 p で起きることを n 回くり返す「1セット」を、乱数で何千セットも実験するシミュレーション。実験値(実線)は、理論値 1 − (1 − p)ⁿ のまわりの帯の中に収まりながら近づいていく。破線の np は、n を増やすと理論値から離れていく。
期待値だけで決めてはいけないとき
期待値は「くり返したときの平均」なので、くり返せない判断では、それだけを根拠にできません。
図 7期待値は B のほうが大きいが、B は 70% の確率で何も得られない。一度きりで、しかも 25 万円がないと困る状況なら、A を選ぶのは合理的。期待値と「ばらつき」はいつも両方見る。
結果のばらつきは、統計では分散や標準偏差で表します。
期待値とあわせて「平均的にいくらか」と「どれだけぶれるか」の2つを見るのが、確率で判断するときの基本です。
章末問題
問 1基本損益分岐の確率
傘を持つ手間を 50 円、雨に濡れる損を 1000 円と見積もる。
(1) 損益分岐の確率を求めよ。
(2) 降水確率が 10% の日、傘を持っていくべきか。
解答を見る
(1) p∗=C/L=50/1000=0.05。答: 5%
(2) 10%>5% なので、持っていくべき。
持っていかないときの期待される損は 0.1×1000=100 円で、持つ手間の 50 円より大きい、と確かめられます。
問 2標準見直しの損得
ある書類の作成では、確率 8% でミスが入る。ミスが見つからないまま提出すると、手戻りに4時間かかる。
見直しには15分かかり、ミスがあればその 75% を見つけられる。
(1) 見直しをすると、平均して何分の手戻りを防げるか。
(2) 見直しは割に合うか。
(3) ミスの確率が何 % 以上なら、見直しが割に合うか。
解答を見る
(1) 防げる手戻りの期待値は p×q×L。
0.08×0.75×240 分=14.4 分答: 約14分
(2) 見直しのコスト15分に対して、防げる手戻りは14.4分。わずかに割に合わない(ほぼ拮抗)。
(3) p>C/(qL) より
p∗=0.75×24015=18015≈0.083答: 約 8.3% 以上
実際にはほぼ拮抗しているので、判断を分けるのは数字に入れていない要素です。
手戻りで相手からの信頼を失うなら L はもっと大きく、見直しは割に合います。
見直しの精度 q を上げる工夫ができるなら、それも見直す側に傾けます。
拮抗しているときは、計算に入れていない要素を探すきっかけにしてください。
問 3発展小さな確率のくり返し
ある通勤経路で、1日に事故に遭う確率を 1/10000 と仮定する(説明のための仮の値)。1年の通勤日数を 250 日とする。
(1) 1年間に少なくとも1回事故に遭う確率を求めよ。
(2) 10年間(2500日)ではどうか。
(3) (2) を np で近似すると何 % になるか。正しい値とどれだけ違うか。
解答を見る
(1) np=250×10−4=0.025 と小さいので、1−(1−p)n≈1−e−np を使います。
1−e−0.025≈1−0.9753=0.0247答: 約 2.5%(np=2.5% とほぼ同じ)
(2) np=2500×10−4=0.25。
1−e−0.25≈1−0.779=0.221答: 約 22%
(3) np=25%。正しい値 22% より 3 ポイントほど大きい。
1年なら np で十分ですが、10年になると np が 0.25 まで大きくなり、近似の誤差が目立ってきます。
また、1日には 1/10000 と無視できそうな確率でも、10年では 5人に1人以上になります。
毎日のくり返しで起きることは、1回あたりの確率ではなく、くり返した合計で評価する必要があります。